〜午前の部〜『祝福を受け継いで』
菅原秀子牧師
「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがた
は祝福を受け継ぐために召されたのです。」(Ⅰペテロ3:9)
神様の壮大なご計画の始まり
アブラハムが75歳の時、神様の召命により神様の示される土地へ向かって旅立った。「
あなたの子孫によって、地のすべての民族は祝福を受けるようになる」という約束を信じ
、途中でつまずくことはあったものの、アブラハムとその妻サラは息子イサクを設けたの
である。このように、神様の壮大なご計画の最初は、信仰によって一歩踏み出したアブラ
ハムによって進み始めたのだ。私たちも信仰によって踏み出し、神様のご計画が早められ
るよう努めたい。
約束の子イサクの歴史
①信じて祈り続けたイサク
大まかな出来事は別紙概要参照。イサクは妻リベカが不妊の女だったので、彼女のため
に20年間も祈り続けた。イサクは神様の約束を信じ、アブラハムのような過ち(高齢のサラ
には無理だと考え、女奴隷ハガルによって子孫を設けるも、のちに神様の預言通りサラに
も子が与えられた)は犯さなかったのである。私たちも神様の約束を信じ、忍耐を持って祈
り続けることが大切。
②祝福されたイサク
イサクが種を撒くと百倍の収穫を得て、井戸も掘ることができた。しかし、それを僻ん
だ人々に埋め立てられて、また別の井戸を掘るということを三度ほど繰り返している。イ
サクはそのような理不尽な目に遭っても争わなかったのである。種を撒く、百倍の収穫、
と聞くと、イエス様の種まきのたとえ話が思い起こされるが、私たちも魂の実を豊かに結
べるよう、信仰の日々を歩みたい。
イサクからヤコブへ
イサクの目が悪くなって、長男のエサウではなく、彼に扮した次男のヤコブに祝福を祈
ってしまったことに気づいたとき、イサクは身震いしている。この身震いの理由は怒りや
後悔ではなく、“神様の御心はヤコブに祝福の祈りが捧げられることだったのだ”と知った
からである。イサクはこのとき、かなり年を取っていたが、それでも神様に対する恐れ、
厳かに捉える姿勢は鈍っていなかったのである。こうしてヤコブが祝福を受け継いだわけ
であるが、今やその祝福はイエス様の十字架を通し、私たちにも受け継がれていることを
覚え、この恵みを受け継ぐべく、伝道に励みたい。
まとめ
イサクの生涯を通し、私たちも忍耐を持って祈り続けること、魂の実を結ぶ歩みを持っ
て、十字架の祝福を受け継いでいくことが大切である。一人一人の信仰の第一歩が、神様
のご計画を推し進めることにつながるのだ。
2026年6月21日(日)
〜午後の部〜『祈りの恵み、祈りの力』
菅原秀子牧師
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために
、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」
(エペソ6:18)
導入
私たちの祈りは、“愛する天の父なる神様”から始まって、“イエス様の御名前によってお
祈り致します”というような言葉で締めることが多いと思うが、これは大きな恵みであるこ
とを今一度覚えたい。
ペンテコステの前
イエス様の十字架での死、よみがえり、昇天後、弟子たちはイエス様の教えを守ってエ
ルサレムに留まり、最後の晩餐をした場所で祈り続けていた。10日後に約束の聖霊が注が
れ、キリストの教会が誕生することになるのだが、当時の弟子たちはいつそのときが来る
かも解らない中、みんなで心を合わせて祈り続けていたのである。信仰を持って、心を合
わせて祈る姿勢に教えられたい。
ペンテコステの後
上記を経て、今、イエス様の十字架を信じるすべての人に聖霊が注がれている。これは
どういうことかというと、イエス様の御名前(エペソ1:21)を借りて祈ること、神様に大胆
に近づくことが許されているという、破格の恵みに与っている状態なのである。私たちは
もう一度、イエス様の名をお借りして祈っていることを心に留め、ますます神様と心を同
じくして祈る者へと導かれていきたい。
特に私たちは自分が無力であることに気づかされたときに、祈りに至ることが多いかと
思うが、そうして自身の抱える問題に介入して頂き、神様の最善を持って応えて頂ける恵
みを覚えたい。イエス様の名を借りて祈っているのだから、神様の御心の通りになるよう
願う者でもありたい。
いろいろな祈り
まず範囲という意味で、主に三種類の祈りがある。一つ目は個人の祈りである。神様と
一対一で親しく交わり祈ること、またそうして毎日、一日のスタートを切ることができる
のである。二つ目は互いに祈り合う祈りである。誰かに祈って貰えること、誰かのために
祈ること、どちらも非常に恵まれるものである。そして三つ目は教会の祈りである。教会
を上げて祈るというのは、先述のペンテコステの前の祈りに通ずるものであるが、いつに
なるか解らないけれども必ず成就する神様の約束を信じ、集団で祈り続ける信仰に溢れた
教会へと成長していきたい。
そして内容という意味でも、時にもはや“主よ…”としか口にできないほどの状態で祈るこ
ともあるかもしれない。しかしどんな祈りも聖霊が導いてくださるものなのであり、どん
な範囲の祈りも、どんな内容の祈りも、神様は聞いてくださるのである。
まとめ
イエス様の御名によって祈ることができる幸いを今一度噛み締め、どんな祈りも聞いて
くださるという信仰を持って、忍耐を持って祈り続けることが大切。
2026年6月21日(日)
