2026年6月7日(日) 礼拝 『イエス様のバプテスマ』

礼拝

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『イエス様のバプテスマ』マタイ3:13-17

「しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいこと
をすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われた
とおりにした。」(マタイ3:15)

あらすじ

イエス様は、悔い改めるような罪はないのに、ヨハネから水によるバプテスマを受けた
。神様はこれを喜ばれた。

神様に喜ばれる行い

バプテスマは基本的に、罪の悔い改めをして受けるものであるが、イエス様はなぜその
ような罪もないのにバプテスマを受け、神様はそれを喜ばれたのか。それは、イエス様が
旧約の神様の言葉に従って、神様のご計画通りの行いをしたからである。私たちもイエス
様に倣って、御言葉に従って歩む者となりたい。

“これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。”

イエス様がバプテスマを受けたとき、神様はこのように仰った。この言葉から読み取れ
るのは、イエス様がバプテスマを受けたから愛されたのではなく、その前から神様はイエ
ス様を愛されていたことである。そして、神様は私たちのこともこのように永遠の昔から
愛してくださっているのである。

原動力は愛

ところで、イエス様がヨハネの元を訪れる前に、パリサイ人とサドカイ人がヨハネから
バプテスマを受けにやってきたが、ヨハネはこれを厳しい言葉で突き返していた。彼らは
律法を重んじ忠実に守っていた人々であったが、その原動力は自己義認であったからであ
る。すなわち、自分の行いによって救われようとしていたのだ。それももちろん間違った
ことであるし、それを原動力にしていると、律法を守れない人に苛立ちを覚え、他者を裁
く罪を犯す危険もあるのである。何を原動力にするかを誤ってはならない。

まとめ

神様に愛されていることを原動力に、神様の愛と恵みを糧として、イエス様に倣い、神
様に喜ばれる行いの伴う聖い生活を築き上げなければならない。

2026年6月7日(日)