礼拝
『信じて、行きなさい』ヨハネ4:46-54
「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです
。」(ヘブル11:1)
あらすじ
王室の役人の息子が病で死にかかっていた。そこで役人は、イエス様のカナの婚礼での
奇跡を聞いていたため、イエス様なら治してくださるかもしれないと、御許へ向かった。
48節のイエス様の言葉
この言葉は、43-45節を読むとイエス様の意図を想像しやすい。カナの婚礼で水がぶどう
酒に変わるのを見た人々はその奇跡を見て喜んで褒め称えていたものの、それは神様の御
子としての、預言者としてのイエス様を信じているわけではなかった。目の前の奇跡しか
見ていなかったことを思い、役人の信仰はどうであるか試されたのである。
役人の信仰
さて、役人はこのようなイエス様の言葉を受けたものの、それでも“下ってきてください”
と頼み込んだ。それに対し、イエス様は“行きなさい(別の訳では“帰りなさい”)、あなたの
息子は治ります”と返している。そのとき役人は、イエス様が一緒に来てくださらないのに
、まだ息子が癒されたのを見ていないのに、この言葉を信じて引き返したのである。
この役人のように、目に見えないものを信じるという信仰は、クリスチャンの基本であ
るが、自分で努力して習得するものではない。賜物としてすでに主が与えてくださってい
るものなのである。
奇跡を通して
役人が引き返している最中にしもべたちが迎えに来て、彼の息子が癒されたことを報告
しに来た。癒された時間がちょうどイエス様が“治る”と言われた時刻と重なり、役人はさ
らに深い信仰へと導かれたとともに、彼の家の者たちもイエス様を信じた。
まとめ
この役人もそうであるが、私たちは様々な聖書の箇所を通して、主のよびかけに応答し
、祝福に与った人々がいることを知っている。神様の呼びかけで家族全員を連れて旅に出
たアブラハム、イスラエルの民を連れてエジプトを脱出したモーセ、示された時にヨルダ
ン川を渡ったヨシュア…、挙げだしたらキリがないが、私たちも彼らのように多くの恵み
に彩られ、主に喜ばれる生涯を歩みたいものである。
彼らの信仰に比べると自分なんて…と思うかもしれないが、(マタイ17:20)に「もし、か
らし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あ
なたがたにできないことは何もありません。(抜粋)」にあるように、どんなに小さな信仰
でも、そこから成長していくことができる希望を持って、“私は、行きなさいという主の言
葉に応答して今、ここにいるのだ”と、自身が主に応答しているのだということをまず意識
していきたい。そうして、少しずつ自分を神様に明け渡してゆき、先述の人々のような生
涯へと導かれていくのである。そしてそれが周りへの証しにもなっていくのだ。
2026年7月12日(日)
