2026年5月24日(日) ペンテコステ礼拝 『聖霊降臨』

礼拝

ペンテコステ礼拝

『聖霊降臨』使徒2:36-42

「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」
(使徒2:32)

あらすじ

イエス様はエルサレムを離れないようにと弟子たちに命じて、天に上げられた。そして
弟子たちがイエス様の約束を守り、エルサレムで祈り続けていると、凄まじい響きととも
に、炎のような舌が分かれて現れ、弟子たちにそれぞれ留まった。これは彼らが聖霊に満
たされた瞬間である(使徒2:2-4詳細)。

祈り続けるということ

ペンテコステと聞くと、聖霊に満たされた後に注目しがちだが、今回は聖霊に満たされ
る前、弟子たちが祈り続けていたことにも注目したい。私たちは恵みの時を生きており、
イエス様を信じた時点で誰しも聖霊が注がれるのだが、その確信を得るためにも祈ること
が重要なのである。例えば、祈り続けることによって、神様が何かを示してくださる体験
や、苦しみの中にあって突如平安に満たされる体験をしたことはないだろうか。神様の力
に他ならないこの経験が、臨在の確信に繋がるのである。

聖霊とともに主を証しするということ

聖霊が注がれた後、ペテロたちが群衆の前で力強く伝道した。この時、群衆たちはペテ
ロたちに“酔っているのか”と言ったが、ペテロはそれをハッキリと否定している。
つまり、ただ聖霊に操られて無意識下に語っているのではなく、しっかりと自分の意思
を持って、聖霊とともに主を証ししていたと捉える方が自然なのである。私たちはよく“聖
霊に導かれて…”という言葉を使うと思うが、それは決して聖霊に全て任せておんぶに抱っ
こ、という意味ではなく、私たち自身も力強い信仰と意識を持って、聖霊の助けを得て立
ち上がっていくのである。

クリスチャンの歩み

私たちは、人に明確に言葉にして伝道できるような学びや聖書の言葉もあれば、自分自
身が経験した言いようのない臨在の確信や平安もある。しかし、どちらも聖霊のお働きに
よって得られるものなのである。言葉にできることもできないことも、すべて私たちクリ
スチャンの歩みの糧であることを覚えたい。

まとめ

祈り続けることによって、ますます神様の臨在を確信する。またそのような経験を積み
重ね、聖霊とともに主を証ししていく。そして、この一連の流れを繰り返すことで、私た
ちは神様とさらに深い交わりへと導かれていくのである。

2026年5月24日(日)