礼拝
『聖書は神のことば』 Ⅱペテロ1:16-21
「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし
、主のことばは永遠に立つ。」(Ⅰペテロ1:16-21)
導入
聖書は普段から私たちが親しんで読んでいるものであるが、いざ“聖書ってどんなものな
んですか?”と聞かれると、明確な答えが思いつくだろうか。今一度、聖書とはどんなもの
なのかを学んでいきたい。
聖書とは
聖書にはたくさんの著者の文章が収録されているが、その内容は一貫してイエス様を指
し示しており、神様がどういうお方か、何をなさったのかが記されている。そのような神
様のお言葉が記されているので、実際の聖書の著者は神様お一人である。ちなみに、聖書
で神様がご自身のことを示されていることを特別啓示という。これに対し、一般啓示とい
うものもあり、こちらは神様による被造物(太陽、星、月など神様にしか作れないもの)に
よって、ご自身を示されているものを指す。
聖書との向き合い方
聖書は実質的には神様が書かれたものであるので、選り好みせずすべての御言葉に触れ
ることを心がけたい。時にその内容は、自分の心には響かなかったり、痛いところを突か
れるような厳しいものであったりするが、それでもそのまま、曲解せずに受け取っていく
ことで、内なる聖霊が働かれ、より深く聖書の知識が蓄えられるのである。
また、19節のペテロの見解によると、実際にイエス様と行動をともにして、直接の交わ
りを持ったことのある者よりも、御言葉によってのみ主を知っている人の方が、より正確
に主を知っているといえるそうだ。だからこそ、私たちは聖書の御言葉を頼りに、深い学
びへと導かれていきたい。
(まとめ)実を結ぶ歩みへ
聖書と正しく向き合うことで、これまでの御言葉がすべて成就していることを知ったり
、自分自身が御言葉に救われた経験をしたりできる。そして、より御言葉を軸にして歩ん
でいくようになり、その姿勢が周りへの証しとなっていくのだ。この暗い世の中を、神様
の言葉を灯火として歩み抜きたい。
2026年5月3日(日)
