2026年4月12日(日) 礼拝 『エマオの道で』

礼拝

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『エマオの道で』 ルカ24:25-34

「聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
(ルカ24:32)

あらすじ

エマオの道を歩いていた二人の弟子は、途中でイエス様にお出会いして一緒に歩いてい
たが、その方がイエス様であることに気づいたのは一緒に夕食を取ったときであった。

道中で

最初、二人の弟子たちは聖書の言葉やイエス様が生前にお語りになっていたこと(死と蘇
り)を完全には理解できておらず、お慕いしていたイエス様が亡くなってしまった失望と、
蘇られたという噂で混乱していたのではないだろうか。だから、途上でイエス様にお出会
いしても、霊的に鈍感になっていた。しかし、彼らはこの道中でイエス様の語る聖書の言
葉を熱心に聞き、求めた。

夕食のとき

イエス様はさらに先に進もうとしていたが、弟子たちはさらに言葉を聞きたかったため
に、ともに宿に泊まり、夕食をともにした。イエス様がパンを裂いたときに、二人の弟子
たちはこの方がイエス様であることに気づいた。(パンを裂くと聞くと、最期の晩餐が思い
起こされるが、この弟子たちは12弟子ではないのでその晩餐の場にはいなかったと思われ
、イエス様は最期の晩餐の時に限らずよく多くの弟子たちと食事をともにし、パンを裂い
てあげていたことが読み取れる。)
二人の弟子がイエス様であることに気づいてすぐにイエス様は姿を消されたが、弟子た
ちは道中で主と語り合ったときに自身の内が燃えていたことを思い起こした。

まとめ

弟子たちの目が開かれたように、御言葉には力があることを思い、熱心に御言葉を求め
、学ぶ姿勢が大切。そうすれば、聖霊が働かれようとしているときにいつでも応答するこ
とができ、その内が燃やされるのである。今一度、日々のディボーションや毎週の礼拝・
祈祷会を通し、神様との交わりの時を真摯に受け取っていきたい。

2026年4月12日(日)