2026年4月1日(水) 祈祷会

礼拝

祈祷会

《ヨハネ19:38-42》
「わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの
行いにまさる、近ごろの行いも知っている。」(黙示録2:19)

あらすじ

イエス様が十字架で亡くなられてから、アリマタヤのヨセフはそのご遺体を引き取りた
いと申し出て、ニコデモと一緒にイエス様を埋葬した。

死後の奉仕

アリマタヤのヨセフは、イエス様を信じていながら、ユダヤ人を恐れてそれを公言でき
ないままでいた。イエス様が亡くなってようやく、イエス様を埋葬するという奉仕に励ん
だが、その心には“今さらこんなことをしても…“とか、”もっと早く仕えていれば…”と後悔
があったのではないだろうか。しかし、イエス様が復活されて、彼らの奉仕は意義のある
ものとなり、今も聖書を通して我々に語り継がれていることに注目したい。
イエス様が復活された今、私たちの行うすべての奉仕は無駄になることはなく、すべて
喜んでくださるのである。だからこそ、ますます私たちは自身が信仰者であることを胸を
張って周りに表していくことが大切である。聖霊を注がれた私たちには、必ずイエス様が
その背中を押してくださる。

奉仕ができる幸い

奉仕というのは、教会に集って礼拝や祈祷会に励むことも、祈ることも含まれる。特に
祈りは、自分がどんな状態にあってもできるものである。いつどんなときも奉仕はできる
というこの幸いを覚えて、それぞれの示される奉仕に励みたい。
奉仕に関連して、ナルドの香油をイエス様に注いだマリヤの姿に注目すると、これは人
の目には“何て勿体ないことをするんだ”と非難されるようなことであった。しかしイエス
様はこれを喜ばれていた。つまり、私たちの奉仕も時に人には非難されて躓きを覚えるこ
とがあるかもしれないが、イエス様は喜んで受け取ってくださるということである。人の
目ではなくイエス様に喜ばれることは何かを、聖霊に示されて全うしていきたい。

まとめ

人目をはばからず、自分がクリスチャンであることを公にして、イエス様に喜ばれること
を全うしていく。

2026年4月1日(水)