2026年3月15日(日) 礼拝 『イエスの逮捕』

礼拝

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『イエスの逮捕』 マタイ26:36-56

「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪
を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」
(Ⅰペテロ2:24)

あらすじ

ゲッセマネの園でイエス様は、血のような汗を流しながら、十字架という杯について必
死に神様に祈りを捧げていた。

イエス様が祈ったこと

イエス様は十字架にかかるということを恐れていたというよりは、罪人とされて神様か
ら見捨てられてしまうことに恐れや不安を抱いておられたのであった。三位一体の神とし
て、永遠の昔から神様とともにおられたイエス様にとって、ましてや人間と同じ弱い体を
持った状態で、そのような目に遭うことは非常に辛いことだったのである。
しかし、イエス様は最後に“御心の通りにしてください”と、捧げた三回の祈りで毎度そう
締めくくった。

ゲッセマネで祈った後

イエス様はゲッセマネで祈ってから十字架にかかって死ぬまで、大きな御業は行われな
かった。全知全能でありながら、イスカリオテのユダによって捕らえられたときも神の権
威を使わず、裁判においても、知恵がありながら自分の身を守るための発言をせず、十字
架の苦しみの中でも御力を使わず、脱出することをしなかった。イエス様は最期まで神様
への愛と従順を貫き通したのである。

私たちの祈り(まとめ)

私たちはイエス様のお姿に倣い、神様への愛と従順を尽くしたいと願う者であるが、つ
いこの世のことに心を傾けすぎたり、神様のことを後回しにしたり蔑ろにしたりしてしま
うことがあると思う。そういうときに、もう一度神様に目を向け、イエス様のお姿を目指
すためにも、あらゆるときに祈ることが大切なのである。礼拝や祈祷会、ディボーション
の時以外でも、淡々と続く何気ない日々の中であっても、神様に目を向けることを意識し
て、よく祈る者でありたい。

2026年3月15日(日)