2026年3月8日(日) 礼拝 『ぶどうの木の教え』

礼拝

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『ぶどうの木の教え』 ヨハネ15:1-11

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人
にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは
何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)

導入

このたとえ話は、イエス様が十字架にかかられる前に弟子たちに語られたものである。
神様を農夫、イエス様をぶどうの木、私たちを枝として解りやすく語られており、イエス
様に繋がり、イエス様の愛に留まり続けることの大切さを学ぶことができる。

イエス様に繋がり、その愛に留まる

イエス様に繋がり、その愛に留まることは、イエス様と同じ気持ち(弟子の心)で、神様の
望まれることや喜ばれることを求めることである。私たちにもそれぞれ熱中していること
や、追い求めているものがあるかもしれないが、それがイエス様と気持ちを同じくしてい
るが故のものであれば、神様は惜しみなく必要を満たしてくださるのである。

神様が与えたいと願っておられるもの

神様が私たちに与えたいと願っておられるものの一例として、御霊の実(ガラテヤ5:22-
23)がある。そういったものを私たちは神様に望んだことがあるだろうか。考えたこともな
かった人もいるかもしれないが、これも、弟子の心が深められられるほどに自ずと求める
ことができるようになるのである。

刈り込み

実を結ばない枝が切り落とされるのは当然のこととして、実を結ぶ枝でさえ刈り込みが
行われるという表現に注目したい。私たちが弟子の心を持って、神様に与えられたものを
神様のために用いていくとき、刈り込みとして、神様が大きな試練を与えられることがあ
る。それは喪失であったり、苦難であったり様々であるが、私たちがイエス様という木に
繋がっている限り、何度でも立ち直ることができ、さらなる豊かな実を結ぶことができる
のである。
また、刈り込みが行われるということはそれだけ懇ろに手入れをして、手塩にかけてく
ださっているということでもある。この神様の愛に応答して、どんな苦しみの中にあって
も、なおイエス様の愛に留まり続け、豊かな実を結び続ける信仰者へと成長していきたい

まとめ

弟子の心を持って、どんなときにもイエス様の愛に留まり続け、神様に喜ばれるものを
求め、用い、豊かな実を結び続ける。

2026年3月8日(日)