礼拝
『エルサレム入城』 マタイ21:1-11
「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。」
(マタイ21:5)
あらすじ
イエス様が子ロバに乗ってエルサレムに入られた。民衆は自身の上着や木の枝を使って
道を作り、イエス様を喜んで迎えた。
子ロバを貸した主人
この主人について詳しい記述はないが、当時ロバというのは、運搬のために用いる貴重
な財産であった。それをその主人は子ロバであったとはいえ、喜んでイエス様に捧げたの
である。私たちが所有しているものも、すべて神様が与えてくださっているのだというこ
とを忘れず、主のために用いていく信仰姿勢が大切である。
ロバが表すもの
ロバは人々の生活に溶け込んだ身近な生き物であり、戦いなどに用いられることもない
ので平和を表す存在であった。イエス様が子ロバに乗られたのは、主がそんな平和の国(御
国)のお方であることをお示しになっていたからである。イエス様は平和の君、まことの救
い主、愛で満たし愛で支配されるお方なのである。
子ロバ
子ロバはまだ大した荷物も運べない、速く走ることもできない、決して有能ではない存
在である。しかし、主の前に大切なことは有能であることよりも、用いられやすい器であ
ることなのである。私たちも、ただ神様とともに歩みたいと切に願い、主の前にへりくだ
ることで、神様が私たちを用い、必要な力を授けてくださるのであり、それは有能である
ことよりも尊いことなのである。
勝手な民衆たち
喜んでイエス様を迎えた民衆であったが、イエス様がローマの支配から救い出してくれ
る英雄だと勘違いしていた者がほとんどであった。だから、思い通りにいかなかったこと
に腹を立てて、数日後には手のひらを返したように、イエス様を十字架にかけることに賛
成している。彼らはイエス様の救いによって自身が変えられることよりも、周りの環境が
変えられることを望んだのである。この自己中心性に私たちも心当たりがないだろうか。
しかしイエス様は、そんな私たちのために十字架にかかってくださったのである。
まとめ
無能で自己中心的な人間を、神様は愛し、ひとり子イエス様を十字架につけてまでも愛
してくださった。その愛をしっかりと心に覚えて、主に用いられやすい器としてへりくだ
った心を持ち、喜んで主に仕え、捧げる者へと変えられていきたい。
2026年2月15日(日)
