礼拝
『ベレアでの伝道』 使徒17:10-12
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが
信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
(ヨハネ20:31)
導入
パウロとシラスは、引き続き伝道旅行をし、ベレアの町に到着した。そこでは多くの信
仰者が起こされた。そんなベレアの町の人々は、どのような姿勢で御言葉を聞いていたの
だろうか。
ベレアに行く前に
パウロとシラスは、ベレアに到着する前にテサロニケでの伝道も行なっている。そこで
も多くの信仰者が起こされたが、それと同時にユダヤ教の人々の暴動に見舞われた。彼ら
は律法の教えを重んじて暴動を起こしたようだが、本当はパウロとシラスによって多くの
人々が信仰に入っていくことに妬みを覚えていたのである。私たちも、自分が上手くいか
ないことを人のせいにしたり、上手くいっている他人を妬んだり、ひがんだりすることは
ないだろうか。それは、罪に囚われている証拠なのである。しかし、イエス様はその罪を
私たちのうちから完全に取り除いてくださった。その恵み、福音が聖書には記されており
、次に記すベレアの人々はその御言葉に熱心に向き合ったのである。
ベレアの人々
ベレアの人々は、パウロとシラスが話す福音を熱心に聞くだけでなく、素直に受け入れ
て、自分たちでパウロたちの話すことが本当かどうかを、聖書に照らし合わせて熱心に調
べていた。それも一時のことではなく、福音を聞く度にそのように行っていたのである。
私たちも、イエス様の十字架による贖いと救い、神様からの愛をしっかりと受け取るとき
、ますます聖書の御言葉を求め、学ぼうと思わされるのである。そして、心から御言葉を
求めるとき、神様は聖書を読むために必要な力や知恵、時間や環境を必ず備えてくださる
。そのことを思い、今一度奮い立って聖書と向き合う日々へと導かれていきたい。
まとめ
ベレアの人々のように、先入観や偏見に囚われず真っ直ぐに御言葉を聞き入れ、教会で
御言葉を聞くだけでなく、個人的にも御言葉を振り返り、神様の恵みの中に生かされてい
きたい。
2025年11月9日(日)

