2025年10月22日(水) 祈祷会

礼拝

祈祷会

《Ⅱテモテ4:6-8》
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」(ガラテヤ2:20)

導入

いよいよ殉教で死ぬことを悟ったパウロが、テモテに宛てた手紙にはどのようなことが
記されているのか。死を間際にした信仰者の考え方を学んでいく。

過去を振り返った

7節にある“戦い抜き”、“走り終え”、“守り通し”という言葉はギリシャ語では完了形で記さ
れているらしい。すなわち、ある時点から現在まで続いていることを現す表現である。パ
ウロの場合は、ダマスコの途上で目が見えなくなってイエス様の声を聞いた(パウロの回心
)時点から、ずっと続いているということだろう。
また、パウロはこれを自身の功績として誇っているのではない。このような信仰姿勢を
貫き通すことができたのは、どんなにつらい中にあっても、イエス様の十字架を思い起こ
すことで、イエス様とともに歩み続けることができたためである。そのことを死を間際に
してパウロは改めて振り返っている。
私たちもパウロのような信仰姿勢を全うしたいものであるが、なかなかそうはいかず、
神様の御声に背いて、自分の感情に任せてしまったり、欲望に任せてしまうことはないだ
ろうか。しかしそんなことをしてもスッキリするどころか、罪悪感や後悔に苛まれる。神
様を信じたからには、もはや御声に従った方が平安が与えられるのだということを、日々
様々な経験を通して学んでいきたい。

未来的な視線

パウロは未来的な視線を持って、殉教で死んで終わりなのではなく、その後にどうなる
かを見据えていることが8節から読み取ることができる。彼は地上での死後、神様から義
の栄冠を授けられることを確信しているのだ。そう確信することができるのは、神様の約
束は必ず成就するという信仰があったからである。私たちも、“神様が仰ったから”という
理由だけで確信を得られる信仰へと引き上げられていきたい。

まとめ

・どんなにつらい中にあっても、イエス様がどれほどの苦しみを持って私たちを贖ってくださったのかを思い出し、イエス様とともにパウロのような信仰姿勢を全うする。
・神様の約束を確信し、期待し、未来的視線を持って、義の栄冠が得られることを楽しみに希望の日々を歩み続けたい。
・天に上げられるときに胸を張れるようにするためには、自分の頑張りではどうしようもない。聖霊に導かれて、御声に従って、イエス様とともに歩み続けることが大切である。

2025年10月22日(水)