礼拝
『ヨシヤの宗教改革』 Ⅱ列王記23:21-25
山田雅香師
「私はあなたのみことばを心に蓄えます。」(詩篇119:11)
あらすじ
南イスラエル(ユダ)の王ヨシヤは、祖父マナセや父アモンの悪政に倣わず、宗教改革を行い、まことの神様に立ち返った善王であった。後にも先にもないほどの素晴らしい王であったと記されている。
残されていた書
偶像を取り除いたり、悪しき祭司をクビにしたりと改革を進める中、大祭司が神殿の奥でモーセの書を発見し、ヨシヤの手に渡った。ヨシヤはこれを読んで衣を引き裂き、この律法を守ることを誓うとともに、民にもそれを促した。大祭司すらこの書の存在に今まで気づいていなかった上、これまでの王が神様に背き、他の神々を拝んでいたのに、そのモーセの書は廃棄されること無く、しっかりと残されていたのである。そして、この書が発見されたことによって、ヨシヤを通して民が神様に立ち返ったのである。
ヨシヤの最期とその後
ヨシヤはこれまでにないほどの善王であったが最期は戦死し、次につづく王たちはまた神様に背き、最終的にはバビロン捕囚に遭っている。では、ヨシヤの宗教改革には何の意味があったのだろうか。それは、このバビロン捕囚が神様の怒りによるものであることを知るためであったのではないだろうか。まことの神様の存在すらあやふやになっていたであろう民を、ヨシヤの宗教改革が導いたのである。そしてバビロン捕囚後、御言葉を知らない国で理不尽な目に遭ったイスラエルの民は、捕囚から解放されたときにはまことの神様に立ち返ったことが記されている。
総括
ここから私たちが学ぶことができるのは“御言葉が与えられる幸い”である。私たちは日本語で聖書を読むことができているが、聖書のすべての箇所が母国語で翻訳されている国は全体の10%しかないらしい。だからこそ、この国でクリスチャンになった私たちには大きな責任があることを思い、たとえすぐには報われなくても、神様の前に敬虔に歩み続けることが大切である。
2025年9月28日(日)