礼拝
『ヒゼキヤとアッシリアの王』 Ⅱ列王記19:14-20
「イスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。」
(Ⅱ列王記19:15)
あらすじ
強大な勢力を持っていたアッシリアは、様々な国に攻め込んでさらに勢力を広げており、北イスラエルも捕囚されてしまった。南イスラエル(以降ユダ)も危機に瀕していたが、ユダの国王ヒゼキヤはまことの神様にすがり、祈ったため、主はその祈りを聞かれ、ユダの国を救ってくださった。
ヒゼキヤの信仰姿勢
ヒゼキヤは何か問題が起こる度に真っ先に神様に助けを求めていた。幼子が親に全幅の信頼をおいて助けを求めるように、私たちも小さな子どものように神様にすがる信仰を持ちたい。神様は私たちのことを小さな子どものように愛し、慈しんでくださるのである。
また、ヒゼキヤの祈り方にも注目したい。ヒゼキヤは神様に自身の抱える問題を打ち明ける前に、(19:15)のような信仰告白をしている。神様こそがすべての神であることを信じているからこそ、そのように告白できるのであり、全幅の信頼を持って頼ることができるのである。
そして、ヒゼキヤはアッシリアの国から守ってもらうことを祈りつつも、そう祈る理由は、自分のためではなく神様の栄光が現されるために祈ったのである。
応えられた神様
神様は預言者イザヤを通して、ヒゼキヤに彼の祈りを聞いたことを伝えられた。そして、主の使いによってアッシリアの陣営で18万5千人を一晩のうちに屍にし、アッシリアの王センナケリブに陣を畳ませた。
神様はヒゼキヤの祈りに応えられたように、私たちの祈りにも応えてくださることを思い、十字架を見上げ、希望を持って、確信を持って、熱心に祈りたい。
恐れについて
神様が必ず祈りに応えてくださることや、聖書に記されていることから、私たちには恐れる必要が無いことが解る。しかし、ヒゼキヤのように信仰があっても恐れは持ってしまう弱いお互いであることも事実である。その弱さや恐れがあるからこそ、神様に必死に祈るのであり、応えられた神様の御業によって、主の栄光が現されていくのである。だから、どんなに恐れや弱さを覚えても、信仰だけは手放してはならない。
まとめ
幼子が親を慕うように、全幅の信頼を持って神様にすがり、信仰を持って祈る。ヒゼキヤのように、神様の栄光が現されるために祈るとともに、自分の恐れや弱さを通して、神様が働かれることに期待したい。
2025年9月21日(日)