礼拝
『ヨナとニネベの人々』 ヨナ3:1-10
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」
(Ⅰテモテ2:4)
あらすじ
ヨナはニネベの町で神様の言葉を語らねばならない預言者であった。そのため、“ニネベの人々が神様の目に悪を行なってばかりであるので主が滅ぼそうとされている”と伝えたところ、ニネベの人々は心から悔い改め、神様は滅ぼすことを取り消された。ヨナはニネベの人々など滅ぼされたら良かったのにとへそを曲げてしまった。
神様の愛
神様はすべての人を愛しておられ、救いたいと願っておられるお方である。ここでニネベの人々を滅ぼすことを取り消されたことからも解るが、今やひとり子イエス様までも遣わして、罪人にも異邦人にも御手を差し伸べてくださっているのである。神様の前に悪を行なっていたニネベの人々も、神様の召しに刃向かったりへそを曲げたりする厄介なヨナのことも、神様が同様に愛されていたように、どんな人も神様は愛してくださるのである。
そしてその愛をもって互いに愛し合い、祈り合うことが大切である。また、そのような神様の愛をしっかりと受け取っていくためにも、祈祷会で学んだ救いの確信や召命感へと導かれていきたい。
敬老の日にちなんで
私たちは年を重ねるほどに神様から注がれた恵みの経験を積み重ねていき、ますます主に恵みを注いで頂けるお互いであると同時に、そのことを知れば知るほど心は砕かれ、柔らかな心へと、愛ある姿へと成長していくことができる。神様を信じる私たちには、ただ老いるだけで無く、そのような喜びや希望を備えられていることを思い、前向きな気持ちで日々前進していきたい。
まとめ
どんな人々も救いたいと願っておられる神様の愛を知り、私たち自身も神様の愛をもって愛し合うお互いとなるため、今一度、救いの確信、召命感に堅く立つ。そして、日々注がれる主の恵みに期待し、信仰者として前進していきたい。
2025年9月14日(日)